saudade-da-coimbraのブログ

関心のあること…ウクレレとポルトガル語とタイ語。そして病気、全身性エリテマトーデス(SLE)
皆さまからの情報もお待ちしています。

どうにかなるのが人生で…

フォローさせていただいている小池一夫さんのツイッター。やはりプロの書く文章は違うなぁといつも感心。


今日も朝から元気を貰った。

ありがとうございます‼️


ITPからSLEへ

娘の入院12日目。

小学2年の時ITP(特発性血小板減少性紫斑病)を発症し、年に2〜3回の入退院を繰り返しながら、ここへ来て昨日SLE(全身性エリテマトーデス)への移行を断定された…


極めてSLEに近いと言われ続けていたものの、ずっとITPでいくものと思っていた。

だからSLEについては全くの下調べもなく無知だった…


今回の入院のきっかけは、光に対する過激反応。

眩しくて刺すような痛みのため全く目が開かなくなった。土曜の夜に起きたため、月曜日まで待つこと、二日間、全くの穴倉生活。

スマホの明かりも最小限でもダメだった。


半年前の入院時に、何度も小さな脳梗塞を起こすようになり、時々体の各部が痙攣したり、麻痺するも、15分〜2時間ぐらいでほぼ戻る。

けれど指先などは動くけれどなんとなくか弱い動き。ペットボトルの蓋を開けたりすることは、難しい場合が多い。


だから今回も脳梗塞を起こして視神経に影響が出たのかと思った。でも頭痛を伴わない…吐き気もない…(下痢にはなっていた)


外来で待つ間に、運良く主治医が状態を観て取り、すぐ検査室へ。


高い個室しかなかったけれど、とりあえずベッドは開けてもらえすぐさま入院。個室だったおかげで、部屋を真っ暗な状態にして過ごすことができた。


ネットなどでSLEについての情報を調べ始めた。

思い当たる症状のなんと多いこと…

これまでどうしてかなァと思っていたあちこちの痛み、胸苦しさ、痙攣などなど、これが原因だった?…


腎臓機能低下の状態も重症と言われた。

悪化の速度がかなり早いとも。

体重が入院数日後で6kgも増えていて間違いだろ‼️と思った。



尿が溜まり、管をつけて排出へ。

肺にも水が溜まり呼吸が苦しい。胸が痛い…


昨年結婚し、やっと一年。

腎臓病対策の薬を6クール行うことで、生理が上がってしまう可能性が大とのこと。

子どもは諦めるしかないかも…との決断を迫られた。


本人も私も、そんなことはずっと前から覚悟していた。こんな体調で子供なんて産めないし、育てられない。

だけど、だけど産まないのと、できないのとでは全然違う…

夫のことを考えると、かわいそうで申し訳なくて…

一晩泣いたらしい…


かなりのストレス。

翌朝、体全体が麻痺して動かない。

目だけがギョロギョロと動き、腕は上がらない、指も動かない。

何がどうなったのだろう…


面会時間となり、わたしが駆けつけ、話しかけているうちに少しずつ体がほぐれて行き、2時間後にはほぼ動かせるようになった。

ホントになんだったんだ?…


先生もわからないと言いながら、極度に悲しいことがあったり、思い悩んだ時、極度のストレスのため麻痺した状態が起こることがあると言った。

ネットでも似たようなことが書いてあった。

そうか…


すでに覚悟していたことと言え、本人のストレスの深さ、気づいてやれなかった…


そんなこんなでもう12日目。

明日は何か楽しい話をしよう。





個室からの風景

12階

私がブログを書くなんて…

PCもiPhoneもtwitterも大好きで、でもブログだけは絶対やらない‼️ってずっと思ってた…

そんな、自分の日常を赤裸々にして何が面白いの?って思ってた…


でもね、ふと思ったの。亡くなった母ともっと話しがしたかったなぁ、聞きたいこといっぱいあったのに聞けないままになってしまったなぁ、母は毎日どんなことを考え、どんな夢を抱いて、果たせなかったどんな目標があったんだろうかなぁ、と。


我が家は夫と長男と長女の四人家族。

夫は今タイで単身赴任の生活をもう2年半送ってる。

息子は2年前に結婚し、夫婦で建築事務所をやっている。

娘は昨年結婚し、やっと一年を迎えた。現在入院、闘病中。今日その病名がはっきりとした…


このブログはこれからの闘病の記録になっていくだろうし、私だっていつまで生きてられるかわからない歳になってしまったので、毎日の思うことを書き留めておかなきゃって思い始めた。


いつか残された人たちが、私ってどんなことを考えて生きてた人なんだろうと、思ってくれた時、このブログを見てくれれば良いなと思う。


ただそれだけ。


私の母の時代にブログなんてものがあって、それを見つけることができたなら、ゆっくり、ゆっくりと読み解きたかった…


母はきちんと家計簿をつける人だった。

何冊もの家計簿が残されていて、そのメモ欄に簡単な一行日記のようなものが書かれていた。


そのたった一行にその日一日の出来事を思い計る時、もっと一緒にいて語り合っていればよかったと悔やまれてしまう。


私自身が、家族にそんな風に思ってもらえる良い母、良い妻かどうかはわからないけど、もしも、もしもそう思ってもらえるときが来たら、どうぞこのブログをゆっくり、ゆっくりと読み進めてみてください。

このブログの存在は、いつかくる突然のお別れの時に読んでもらえるように、とじられた封筒の中に記しておきます。